雑記/青くあるべくして青き海 のバックアップ(No.4)


国歌は面白い

そう、国歌は面白い。当Wikiの前提となっている概念である。

面白くなければ何年もかけて、ブツブツ呟いて、苦心しながら翻訳などするだろうか。

ただ、その面白さの割に「競技人口」*1は極端に少ない、二ッチでマニアックな趣味でもある。

その事実が仮に構造的に覆し得ないもので、どうやったって大流行しない趣味であるとしても、

本稿を読むような幾許かの人々に私の作り出したものが届けば、これに勝る幸いはない。

序 - 隣の芝がそもそも青いのだ

 

国旗(National Flags)と国歌(National Anthems)。

どちらも国家を象徴する「ナショナル・シンボル」の双璧である。

だが、分かりやすさでいえば"勝つ"のは国旗(National flags)に相違ない。

 

国旗のデザインを愛でる人々は世界中に溢れ、書店には図鑑が平積みされ、

国籍を示すマークとして用いられ、日常のアイコンとして消費されている。

有名な国旗を見て「〇〇国の国旗だ」と言い当てられる人は多い。

赤・白・青のトリコロールを見て「フランスだ」とか、

ユニオンジャックを見て「英国だ」程度に認識できる人はかなり多数に上るだろう。

幼い頃に国旗の絵本などを見て沢山覚えている人も多いだろうし、

なんとなれば「この旗の由来はね…」とちょっとした雑学を口に出来る人だって、それなりにいるだろう。

 

翻って*2国歌(National anthems)である。

オリンピックや国際試合の儀式的な付属品として扱われるに留まり、その愛好家は極めて少数。

メロディを耳にして「〇〇国の国歌だ!」と分かる範囲はどのくらいだろう?

平均的な日本人なら日・米・英くらいではないだろうか。*3

「フランス国歌が残酷なんだぜ」くらいのトリヴィアを仕入れていれば上等なほうであろう。

両者の「競技人口」には、残酷なまでの隔たりがある。

 

しかし、この格差は偶然ではない。

考察を深めれば深めるほど、国歌は構造的にマイナーにならざるを得ない(=ブルーオーシャンである)要因を抱えていることがわかる。

なぜ我々は国歌になかなかアクセスしないのか。その障壁を言語化する。

 

1.「一目惚れ」が起こりえない

かなり大きな要因として情報の受容に必要なコストの違いがある。

国旗は視覚メディアだ。

0.1秒視界に入れるだけで、色彩、構図、インパクトの全てが伝達される。*4

SNSのタイムラインを高速でスクロールしても、国旗の魅力は損なわれない。

 

対して国歌は、時間軸を伴う聴覚メディアである。

その魅力を知るには、再生ボタンを押し、少なくとも数分間耳を傾け続けなければならない。

30秒のショート動画さえ煩わしく感じる昨今のコンテンツ事情にあって、致命的でさえある。

 

さらに、人間は「複数の国歌を同時に聴き比べる」ことができない。

…まあ、やっても一向に構わないが、ひとつとしてまともに味わえないだろう。

 

国旗であれば、100枚のデザインを一枚の画像に並べれば、一瞬で比較・鑑賞が可能だ。

「南米には星のあしらわれた旗が何個あるのかな?」と思っても簡単にカウントできる*5

 

あらゆる情報が高速で消費される現代社会にあって、

「これ聴いて!サビまで30秒待って!」*6永遠と同義だ。

2.カタログマニアの死

 

Wikiを作成している身としては、国歌は極端なまでに「スペック比較」がしにくい存在である。

 

人間であれば「名前、生年月日、年齢、出身地、職業、…」

生物種であれば「名前、分布、全長、学名、…」

自動車なら「型式、燃費、駆動方式、…」

 

そういった項目を埋めたカタログは、分類・収集好きなマニア心を刺激してくれるものだ。

時折「不明」「該当なし」「未公表」があるにしても、それなりにスマートな表が出来るだろう。

 

国歌に関して、これが可能なのはせいぜい「曲名」と「制定年」くらいだろうか。

 

「作詞者」「作曲者」は流石に書けるでしょ?と思うかもしれない。

結構な頻度で

  • 「〇〇氏であるという説と、××氏であるという説が…」
  • 「□□大学の学生と教員による合作」
  • 「政府主催のコンクールの優秀作品を繋ぎ合わせたもの」
  • 「詠み人知らず*7」…
 

じゃあ「言語」は?歌うんだから言語は定まってるでしょ?とと思うかもしれない。

  • 「公式な〇〇語版の他に非公式の××語版があり、民間ではこちらがむしろ人気」
  • 「▽▽語版と◇◇語版があり、政府が片方を廃止しようとして民族問題になった
  • 「曲の途中で使用言語が4回切り替わる」
  • 「国内の10以上の公用語すべての歌詞があるがほとんど誰も歌っていない」
  • 「現地語版もあるがみんな英語版を歌う」
  • 「公式には歌詞がないことになっているがみんな非公式の歌詞を歌う」…
 

なんとなれば、先に挙げた「曲名」にしたって…

  • 憲法上の正式タイトルは単に"国歌"である
  • でも歌詞冒頭のフレーズで呼ばれることも多い*8
  • 言語ごとに題名が異なる
  • 君主の性別次第で題名が随時変わる*9
 

「演奏時間」や「テンポ」に至っては、指揮者や演奏バージョンによって毎回異なるため、データベースとしての数値を固定できない。*10この「カタログ化のしにくさ」が、マニア心をくすぐるスペック比較や、体系的なコレクションを拒んできた要因と言える。

個人的にはその混沌ぶりこそが「世界中のさまざまな事情のごった煮」らしくて好きなのだが。

 

3. 長編小説を最後のページだけ読んで泣けるか?

 

国旗を見て「かっこいい!」「素敵!」「イカしてる!」と思うのは容易で、シンプルだ。

何も知らなくても直感的に「クールだな」と思える。子供向けの国旗絵本があるのが証左だ。

 

しかし国歌はどうだろう?「言語」「音楽」「歴史」「文化」「音楽」の複合芸術である。

 

歌詞を理解するにはその国の「言語」が必要だ。まあこれは翻訳でもよい。*11

なぜその歌詞なのかを知るには「歴史」「文化」「政治」の知識が要求されうる。

さらに曲そのものを楽しむには「音楽的素養」も求められる。

 

国歌はあまりにも多くの文脈(コンテクスト)への理解を要求する。

「楽しむためのコスト」が圧倒的に高いのだ。

 

ただ、それは裏を返せば、

これらの文脈をごく自然に共有する自国民にとっては最高に「刺さる」ということ。

基本的には自国民のために存在するものなので、興味がある外国人は刺さりに行くしかない。

 

思考実験をしよう。

仮にフィクションで「架空の国家」を作るとして、最初に作るのはなんだろうか?

国名?国旗?いや、政治制度?それとも独自の言語?それか文化?ああ、歴史もいいかもね。

でも、そこで「国歌」を最初に作ることは絶対にできない

その国が戦争の末独立したのか、島国なのか内陸国なのか、何を大事にしてきた国なのか…

そういうのが未決で、国名だけを決めた架空の国のためにかっこいい国歌を作ろうとしても、

「祖国に栄光あれ!」みたいな汎用性の高い歌詞しか作れないだろう。

 

国旗が本の「表紙」だとすれば、国歌は「長編小説の『結び』の一文」だ。

いきなりそこだけ読んだとして、文字としては理解できる。

だが、そこに至るまでの数千ページのドラマを読んでいなければ、その一文がなぜ感動的なのか、

あるいはなぜ悲劇的なのか、真の意味で理解することはできない。

 

ウルグアイ国歌「東方人よ、祖国か墓か!」の終盤で繰り返される

 
 

Y muriendo, también libertad.

そして死に瀕してなお、我らが叫ぶ言葉は「自由を!」

 

のフレーズが最も輝くのは、ウルグアイという国とその歴史を深く知ったときに限られる。

 

東ドイツ国歌「廃墟からの復活」2番ラストの

 
 

Laßt das Licht des Friedens scheinen,

daß nie eine Mutter mehr 

ihren Sohn beweint.

平和の光を輝かせよう、

もう二度と母親が、

''息子の死を悼まずに済むように。

''

 

この一文を涙なしに語れないのはドイツの歩んできた歴史を知っていればこそだ。

 

一度滅びたポーランドの国歌「ドンブロフスキのマズレク」*12冒頭の

 
 

Jeszcze Polska nie zginęła,

Kiedy my żyjemy.

ポーランド未だ滅びず、

我らが生き続ける限り。

 

この一文の背景を理解することは、この文を訳すことの何倍も意義深い*13し、

 

その隣国、ウクライナの国歌

 
 

Ще не вмерла України і слава, і воля.

(Shche ne vmerla Ukrajini i slava, i volya.)

ウクライナ未だ滅びず、その栄光と自由もまた滅びず。

 

このフレーズから始まることは、ウクライナの情勢を思う心の支えとなりうる。

refrain - そしてそれ故に、面白い

 

随分と大変だ。ハードルは高く、ハードルの数も種類も多い。

言語が読めて歴史が分かって文化に理解があって、ゆっくり味わう時間が必要で。

でも、だからこそ、それ故に今もう一度。国歌は面白い。

ニッチな趣味であることは間違いない。ブルーオーシャンでは、ある。

ただ、それは単純な「不人気」などではない。

その海は青いだけでなく、深すぎるのだ。

 

日常で思いつくレベルのおよそあらゆる問いが、検索エンジンでさくさく解消できる情報社会で。

耳障りのよい流動食のような本質情報と数値データで簡単に「ヘウレーカ!」できる今の世で。

噛みづらい、飲み込みにくい歴史の文脈を読み解く行為は、むしろ高度な知的贅沢とも言える。

いきなりでは情緒と処理能力が胃もたれを起こしそうだな、という向きは――

当Wikiの訳文を、ぼんやり眺めることから始めてみるのもいいかもしれません。

 




*1 別に競ってはいないが、臨時的表現としてこれ以上のものはちょっと出てこなかった
*2 旗だけに
*3 外れ値の皆さんは一旦御着席ください。私も含め。
*4 本来の旗章・紋章の役割を考えれば、そうでなければ恐ろしくて戦場で掲げられまい
*5 ブラジル、チリ、スリナム、エクアドル、ベネズエラ、パラグアイの6つ。ボリビアは政府旗もカウントしていいなら該当。太陽も「天体」という意味で広義の星としていいならアルゼンチンとパラグアイとウルグアイが…あと仏領ギアナの過去の旗が…(簡単にカウントできていない)
*6 南米の国歌の場合これが「1分半待って!」とかになり、永遠は更なる永遠となる。
*7 これは日本
*8 インキピットと言います
*9 God save the...
*10 「世界一長い国歌は?」みたいな雑学ネタがよく見受けられる。だいたい断言できてない。
*11 そう、当Wikiですね
*12 一般には「マズルカ」とされがちだが誤訳に近い
*13 無粋を承知で付言すれば、この詩が書かれた時代、ポーランドという国は地球上から消えていたのである