ヨーロッパ州/ポーランド国歌「ドンブロフスキのマズレク」 の変更点

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CENTER:&size(24){Jeszcze Polska nie zginęła};&br;&br;

CENTER:&size(20){ポーランド未だ滅びず};&br;&br;

CENTER:{別名:「ポーランド人部隊の歌」}
#netvideos("MY-IU1ryV8I",,,center)

*歌詞全文 [#g1cd0d7e]
|Jeszcze Polska nie zginęła,&br;Kiedy my żyjemy. &br;Co nam obca przemoc wzięła,&br;Szablą odbierzemy.&br;&br;Marsz, marsz, Dąbrowski,&br;Z ziemi włoskiej do Polski.&br;Za twoim przewodem&br;Złączym się z narodem.&br;&br;Przejdziem Wisłę, przejdziem Wartę,&br;Będziem Polakami.&br;Dał nam przykład Bonaparte,&br;Jak zwyciężać mamy.&br;&br;Marsz, marsz, Dąbrowski...&br;&br;Jak Czarniecki do Poznania&br;Po szwedzkim zaborze,&br;Dla ojczyzny ratowania&br;Wrócim się przez morze.&br;&br;Marsz, marsz, Dąbrowski...&br;&br;Już tam ojciec do swej Basi&br;Mówi zapłakany –&br;Słuchaj jeno, pono nasi&br;Biją w tarabany.&br;&br;Marsz, marsz, Dąbrowski...|ポーランドは未だ滅びず&br;我らが生き続ける限り&br;他国の軍勢が奪い去りしもの&br;我ら剣にて奪還せん&br;&br;進め、進め、ドンブロフスキ&br;イタリアの地からポーランドへ&br;汝の指揮のもと&br;我ら団結し国家とならん&br;&br;ヴィスワ川を渡り、ヴァルタ川を越え&br;我らはポーランド人となる&br;ナポレオンが我らに示してくれた&br;勝利を得る方法を&br;&br;進め、進め、ドンブロフスキ…(繰り返し)&br;&br;チャルニェツキがポズナンへと&br;スウェーデンによる侵攻の中、馳せ参じたように&br;祖国を救わんがため&br;我らは海を超えて戻ってくる&br;&br;進め、進め、ドンブロフスキ…(繰り返し)&br;&br;父親が娘のバーシャに&br;涙ながらに語る;&br;「よくお聞き、娘よ、我らの軍は&br;勝利の太鼓を打ち鳴らしているそうだ」&br;&br;進め、進め、ドンブロフスキ…(繰り返し)|

*歌詞逐語訳 [#x4556491]

1.
|Jeszcze|Polska|nie zginęła,|
|イェシチェ|ポルスカ|ニェ・ズギネワ|
|まだ|ポーランドは|滅びない|
|>|>|ポーランド未だ滅びず、|
#br
|Kiedy|my|żyjemy|
|キェディ|ムィ|ジイェムィ|
|~する時は|我らが|生きる|
|>|>|我ら生き続ける限り。|
#br
|Co|nam|obca|przemoc|wzięła|
|ツォ|ナム|オプツァ|プシェモツ|ヴジェワ|
|もの|我らから|他国の|圧政(文字通りには暴力)が|奪った|
|>|>|>|>|他国の軍勢が我らより奪い去りしもの((ポーランド分割で失われた領土、ひいては祖国そのものを指す))、|
#br
|Szablą|odbierzemy|
|シャブロン|オドビェジェムィ|
|剣にて|我々は奪い返す|
|>|剣にて我ら奪還せん|
#br
リフレイン:
|Marsz|marsz|Dąbrowski|
|マルシ|マルシ|ドンブロフスキ|
|進め|進め|ドンブロフスキ|
|>|>|進め、進め、ドンブロフスキ|
#br
|Z ziemi|włoskiej|do Polski|
|ッジェミ|ヴウォスキェイ|ド・ポルスキ|
|地から|イタリアの|ポーランドへ|
|>|>|イタリアの地((この詩が書かれたのは、ナポレオンのイタリア戦役の最中。作詞者は北イタリアでこの詩を書いたのである))より、ポーランドまで|
#br
|Za|twoim|przewodem|
|~のもと|あなたの|指揮|
|>|>|汝の指揮の元|
#br
|Złączym się|z narodem|
|我々は団結する|国とともに|
|>|我ら団結し国家たらん。|
#br
2.
|Przejdziem|Wisłę,|przejdziem|Wartę,|
|プシェイジェム|ヴィスウェン|プシェイジェム|ヴァルテン|
|我らは越える|ヴィスワ川を|我らは越える|ヴァルタ川を|
|>|>|>|ヴィスワを渡り、ヴァルタを越え)|
#br
|Będziem|Polakami.|
|ベンジェム|ポラカミ|
|我らは~であるだろう|ポーランド人|
|>|我ら、ポーランド人とならん|
#br
|Dał|nam|przykład|Bonaparte,|
|ダウ|ナム|プシクワド|ボナパルテ|
|与えた|我らに|例|(ナポレオン)ボナパルトが|
|>|>|>|ボナパルトは我らに示した|
#br
|Jak|zwyciężać|mamy.|
|ヤク|ズヴィチェンジャチ|マムィ|
|どのように|勝つことを|我らが手にする|
|>|>|勝利を得る方法を|
#br
3.
|Jak|Czarniecki|do|Poznania|
|ヤク|チャルニェツキ|ド|ポズナニャ|
|~のように|チャルニェツキ((ポーランドの歴史上の英雄))|~へ|ポズナン((ポーランド中部の都市))|
|>|>|>|チャルニェツキがポズナンへと|
#br
|Po|szwedzkim|zaborze,|
|ポ|シフェツキム|ザボジェ|
|~のあとで|スウェーデンの|占領地((「分けられたもの」、英語では Partition と訳されうる語彙。ポーランド分割で作られた3つの領土にも同じ zabór という単語が当てられ、Zabór austriacki「オーストリア占領地」、Zabór Rosyjski「ロシア占領地」などのように呼ぶ。))|
|>|>|スウェーデンの占領地を抜けて戻ってきたように|
#br
|Dla|ojczyzny|ratowania|
|ドラ|オイチズヌィ|ラトヴァニャ|
|~のために|祖国の|救済|
|>|>|祖国を救わんがため|
#br
|Wrócim się|przez|morze.|
|ヴルチム シェン|プシェズ|モジェ|
|我らは帰ってくる|~を越えて|海|
|>|>|我らもまた海を超えて帰還せん。((ヴィビツキの原詩では、「Wrócił się 彼は戻ってくる」と、戻ってくるのはチャルニェツキひとりということになっている))|
#br
4.
|Już|tam|ojciec|do|swej|Basi|
|ユシ|タム|オイチェツ|ド|スフェイ|バシ|
|もう既に|あそこで|父が|~に|自らの|バーシャ((バルバラ(Barbara)の愛称形。ポーランドでは一般的な女性名))|
|>|>|>|>|>|いま父親が、娘のバーシャに|
#br
|Mówi|zapłakany|
|ムヴィ|ザプワカヌィ|
|語る|泣きながら|
|>|涙ながらに語る、|
#br
|Słuchaj|jeno,|pono|nasi|
|スウハイ|イェノ|ポノ|ナシ|
|聞け|ただ((やや古風な言い回し。現代語ではtylkoかな))|おそらく|我らの(軍は)|
|>|>|>|よくお聞き、我らの軍は|
#br
|Biją|w tarabany.|
|ビヨン|フタラバヌィ|
|叩く|太鼓を((現代語ではティンパニを意味するが、ここでは軍隊で使われる太鼓を指し、「戦勝して勝利の太鼓を叩いている」ということ。))|
|>|勝利の太鼓を打ち鳴らしているそうだ|
#br
*特記事項 [#u62cf634]
-作詞者はユゼフ・ヴィビツキ (Józef Wybicki)
-元の旋律の作曲者は不明。国歌としての編曲はカジミェシ・シコルスキによる。
-曲中に登場する「ドンブロフスキ将軍」の友人でもあり、ナポレオンの元で亡命ポーランド人部隊を編成した際の主要人物。

-1927年に議会で公式に国歌とされる以前にも、19世紀からポーランドの非公式な国歌として歌われていた。
この曲の旋律はスラヴ民族全体への賛歌である「スラヴ人よ」という歌にも流用されている。ユーゴスラヴィアの国歌にもなっていた。
-さらにこの「スラヴ人よ」、元を辿ればスロヴァキア人の詩人サモ・トマーシクが「スロヴァキア人よ」として書いたものなので、スロヴァキア人にも愛されている。

-1-4番まであり、間にリフレインを挟んで通常4番まで歌われる。全部通してもそれほど長くない。
-なお原詩は全6節であり、制定に際し省かれた部分がある(後述)。ロシア人に対するポーランド語の蔑称「Moskal モスカル」が使われていたりするからか。

-何よりもまず、作られたのが「ポーランド分割」により祖国が失われていた期間であること。
-折しもこの詩の成立の2年前に遡る「第三次ポーランド分割」により、「国土の一部を喪失・属国化」とか「名ばかりの傀儡政権が残る」などという生易しいものではなく、''地図から完全にポーランドの名が抹消されていた''時期である。
-そんな中、祖国を分割したロシア帝国に抗うべく、かの有名なナポレオンの元へポーランド人が集まり「亡命ポーランド人軍団」を組織する。((歌詞の2番にもナポレオンの名(Bonaparte)の名が登場する))
-この辺の背景あっての「我ら生き続ける限り、ポーランド未だ滅びず」という歌い出しである。そこらの国が「永遠」とか「不滅」をこともなげに歌うのとは圧が違う。なにしろ当時のポーランドは――繰り返しになるが――''実際に一度滅びていた''のだから。

-ポーランド語の正書法は割と複雑なことで知られる。
-zginęła などの "ł" の字は「L」に横棒がついたもの。概ねワ行の発音。
-ó は 「ウ」。
-"ę"と"ą"は それぞれ「e」と「o(aではなく)」の鼻母音。
 「エン」「オン」と思ってもらって概ね差し支えない。łの前では鼻母音が消失するので zginęła は「ズギネワ」。
-y は「ウとイの中間ぐらいの音」。
-w はドイツ語同様にヴァ行だが、tw や sw などでは無声化し tf- sf- のように発音する。 twoim は「トフォイム」。
-sz はシャ行、cz はチャ行。 ż と rz は同じ発音で、概ねジャ行。

*おまけ:国歌制定に伴い削除された「3番」「6番」 [#eb4f7aa5]
|Niemiec,|Moskal|nie|osiędzie,|
|ニェミェツ|モスカル|ニェ|オシェンジェ|
|ドイツ人|モスクワ野郎|~しない|居着く|
|>|>|>|ドイツ人もモスクワ野郎もここには居させない|

#br
|Gdy|jąwszy|pałasza,|
|グディ|ヨンフシィ|パワシャ|
|~する時|手に取り((古い言い回し。原形はjąć。しかも副動詞などという中々お目にかかれない語形。エモい))|サーベルを|
|>|>|サーベルを抜き放ち、|

#br
|Hasłem|wszystkich|zgoda|będzie|
|ハスウェム|フシストキフ|ズゴダ|ベンジェ|
|合言葉|全員の|団結|~であるだろう|
|>|>|>|「団結」が皆の合言葉となるとき|

#br
|I|ojczyzna|nasza|
|イ|オイチズナ|ナシャ|
|~もまた|祖国|我らの|
|>|>|そして祖国の合言葉となるときには|

#br
|Na|to|wszystkich|jedne|głosy|
|ナ|ト|フシストキフ|イェドネ|グウォスィ|
|~に対し|この|すべての|ひとつの|声|
|>|>|>|>||

|>|>|>|>|このひとつの声で|
#br
|Dosyć|tej|niewoli|
|ドスィチ|テイ|ニェヴォリ|
|もう沢山だ|この|隷属((原義はnie「非」woli「自由」))|
|>|>|このような隷属はもう沢山だ|

#br
|Mamy|racławickie|kosy|
|マムィ|ラツワヴィツキェ|コスィ|
|我らは持つ|ラツワヴィツェの|大鎌|
|>|>|我らにはラツワヴィツェの大鎌((ロシア帝国を相手取ったラツワヴィツェ村での戦闘では、大鎌(kosa, 複数でkosy)を装備した農民兵が活躍し、勝利の象徴となった。後に亡命ポーランド人で編成された英国国軍の部隊は、紋章にこの大鎌を描いている))があるし、|

#br
|Kościuszkę|Bóg|pozwoli.|
|コシチュシケン|ブク|ポズヴォリ|
|コシチューシコ|神|認める|
|>|>|コシチューシコ((上記の戦いを指揮したのが英雄コシチューシコ))もいる。神も認めてくださるだろう!|
#br